揺動ベッドは快適な居場所に❣️

私の心地よい居場所ができました。

テレビを観る時もコーヒーを飲むのもiPadやスマホ操作時の座り場所。
横になりたい時はそのまま寝ることもできる。これまではソファーを使っていましたがソファーは別の場所に移動。
ソファーよりも約10センチ高く40センチ。マットレスもソファーよりも硬いので、安定した座り姿勢になれます。幅は66センチなので居間に置いても邪魔にならない。以前はソファーを置いていた場所。奥行きも長さも殆ど変わらない。
一番の違いは、これが揺動ベッドである事です。
最近、不眠症で悩んでいましたので、この週末の土日は、この揺動ベッドで寝てみました。

揺らし時間は30分間のタイマー設定をして就寝。いつのまにか眠っていました。
しかし、私は、夜中に1〜2時間毎に目覚める習慣があり、毎日数回は目覚めてしまうのです。
一度目覚めると、その後、なかなか眠れないという問題に苦しんでいましたが、目覚める度に揺動スイッチを入れました。するといつの間にか寝ている。それを繰り返していました。
最初の時に揺れているなぁと感じた事を覚えている程度。
めまい対策として頭部は少し高くしています。
と、言う事で、この2日間は寝室のベッドは全く使わず、居間が居場所になってしまいました。
さて、今夜はどうしようかな〜。😊

この揺動ベッドは、アイクォーク(株)さんが開発した商品。私が選んだのはスリムタイプです。他にもベビー用、福祉用、大人用などあります。

詳しくは、アイクォークさんのホームページをご覧下さい❣️

 

揺動ベッドを買った❣️

昨日の夕方、揺動ベッドが届きました。

昨夜は、このベッドで就寝。マットレスの柔らかさは私好み。揺らしの速さも調整可能。昨日はゆっくりモードのIで使用。

揺らさない時は、ソファー代わり。テレビを観る時など、ここが私のリラックス場所になりそう。

3回目のマネジメント研修がスタート!

第3回目マネジメント研修が14日からスタートしました。
福岡県の事業は、すべてのマネジメント研修は4つの地域に分かれて開催していますので、なんでも4倍することになります。
今日は、初回で筑豊地域が対象でした。
筑豊地域の担当講師は安武氏。
アドバイザー施設は、特別養護老人ホーム明日香園。
先ずは、前回の計画実施の報告を各施設が実施。
その後は講義、そしてグループワークの繰り返し。
各々のテーマについてこれからの計画書を作成します。
3回目にもなると手順も慣れてきたようです。
各グループの意見交換も活発に行われていました。
施設の定着させるためには、全員参加がポイント。
モデル施設の皆様、大変お疲れ様でした。

昨日は、北九州地域の研修会でした。

10月13日第2回地域連絡協議会 北九州地域を開催いたしました。
進行は、リーダー施設のふじの木園さんが担当。講師はサポート役。
事前に教えてもらいたいこと、わからない事を提出してもらい、リーダー施設が中心となり、回答の内容を打ち合わせて、先輩施設として、どのように進めてきたかという経験のお話はとても参考になったのではないでしょうか。
困難事例の対処法、福祉用具選定や使いかた、職員への伝達方法・・・。
今回は、3組の聴講希望者も参加されました。
福岡県の事業は4つの地域の開催。つまり、同じことを毎回4回開催しています。
今年度は、2年目の事業となり、モデル施設も去年の倍の24施設。
事務局も講師も同じように関わっていますが、主人公は地域のモデル施設です。
4つの地域、各々のやり方は、同じように提案しても受け取る側によって違ってくるということが良くわかりました。
また、事務局としてさまざまな連絡事項を発信しますが、そこにも24通りの反応があるのです。連絡事項を受けて関係者にどのように浸透させていくのか、これも大切なマネジメントです。
いろんなことを感じながら、事務局としての対策も必要になってきています。
今回の地域連絡協議会のアンケートの提出についても変更しました。
事前にメールで伝え、さらに当日にも提出方法を説明していますが、理解していない施設もあります。
メッセージが伝わらなければ、どのように工夫をしようかと考えます。
事務局は、24のモデル施設と4人の講師の皆様と向き合っています。
ノーリフティングケアを職場に定着をさせて、腰痛による離職者をなくすことが目標です。
県が補助金まで出して、介護人材確保対策に、この腰痛問題に踏み出したことは大きな一歩だと思います。
ケアの技術もプロの仕事。
介護職は、一見誰でも出来る仕事と考えられているのかもしれませんが、プロのケアを受けると何が違うのか・・。
きっと、ケアを受けている人たちには伝わっているはずです。
時々、被験者モデル役を体験すると、その違いを実感します。
そして、この事業を受託した私たちは、今、毎日が真剣勝負。
時には、厳しいメッセージも発信しなければなりません。
でも、想いは一つです。
もしも、このブログを見ていただいているモデル施設の皆様がいらっしゃるなら、共に真剣に前を向いて、ささえあいながら頑張りましょうね。
宜しくお願いいたします。

今回の事例で学んだこと 事例支援その⑧ おわり

転院への同行で感じた事は、私たちが日常のケアを振り返る意味でも、とても大切だと思い、数回に分けてブログに書きました。

私自身を含めて、医療や介護に携わるお友達の皆様にも振り返っていただきたくて紹介をさせていただきましたが、こうして振り返ることで私自身も気付くことがたくさんありました。

「出来ない」と思っていた事は本当にできないのか、食事・排泄・洗面・歩行・移動・移乗・・・・。
「この方は、全面介助です!」なんていう言葉を良く聞きます。

実際に今回の彼女も要介護度4ということでした。
そんな彼女は、車への乗り降りも手すりの位置を教えて誘導してあげれば一人で出来たのでした。
今回利用した車は、後部座席の乗車口はとても高かったのですが、頑丈な手すりがついていました。その手すりに掴まり、身体を反転させて着座できるのでした。最初は一人が先に乗車して引き上げる体制で介助しましたが、その後は、声掛けだけで自力で乗車してもらいました。
車の段差だけでなく、フェリーの客室の段差約10cm、トイレの段差約20cm。すべて抱えることは一度もなく、誘導するだけで出来たのでした。
手すりがない場所は、介助者、つまり私に掴まってもらい、自分自身の力で一歩一歩すすむ。足を高く上げて段差を乗り越えることもできました。

最初の情報では、要介護4と聞いていましたので、さまざまな環境を考えて男性陣には隣室のお部屋を確保していただき、サポート体制をしっかりと考えていましたが、私が食事を選びにレストランに行った時間と大浴場での入浴の時間だけ付き添ってもらいました。(彼女には、寝衣の着替えの際に清拭をしてあげました。)

ベッド上での上方移動も自力で可能。左右の肩を交互に浮かして少しずつ移動。見事な上方移動でしたよ。
事前におむつ使用とのことで、念のために使用したおむつも、装着時に腰を上げる、左右への身体を動かすことも問題なく可能。介護者としては本当に楽でした。

何をするために、どのように身体を動かすのか、出来る事を見極めて声掛けをしてあげる。
当たり前の事を、もしかしたら現場の忙しさから、つい、持ち上げたり、抱え上げたりはしていないだろうか・・。

観察する、待つ介護も大切だと思いました。

食事も、洗面も、更衣も・・。みんな同じこと。一度の食べこぼしでエプロンを使用してスプーンできざみ食・・。(彼女の荷物の中にも、使い捨てのビニールのエプロンがたくさん入っていました。)
彼女は普通食を美味しく食べていたのは、もしかしたら久しぶりに形の見える食材がとても嬉しかったのかもしれません。
ちなみに、夕食は高菜のおにぎり2個、煮魚とポテトサラダと卵豆腐とフルーツのゼリーを選んでお部屋に運びました。私は焼き魚と麻婆豆腐を選んだのですが、彼女は、私の麻婆豆腐も食べたいと言われたので、少し分けてあげたのでした。焼き魚も美味しそうねと言われました。
お箸を使い、食べこぼしもなく。

そんな、彼女のすべての反応には、きっと理由があるはずですよね。

ちなみに、翌日の朝食は、高速道路のサービスエリアのレストランで卵かけの朝定食。ご飯も大盛り。卵と納豆ときんぴらと味噌汁。彼女は、みんなと同じ速さですべて完食。私はご飯は半分残したのですが・・。(笑)

もともとせっかちな私。本当はもっと出来たことがあったのかもしれない・・。
と、振り返っています。

 

認知症について事例支援その⑦ 

認知症と診断された彼女のこと。他にも病気はあるようですが・・。
私が把握していた事は、認知症があるという事と、最近、入院中の病院で転倒して大腿骨頚部骨折の手術をしたという情報だけでした。

そんな彼女との会話は、時折、同じことを何度も聞くこと以外は、普通の会話が成立していました。

その同じことを何度も聞かれることについて、改めて考えてみると、彼女が気になっている事、不安に思っている事を何度も聞いてくることに気付きました。

つまり、どこに行くのか、お兄さんに会いに行くと説明すると、今度はお兄様のようすのことを聞かれます。兄は病気なのか、生きているのか、病気は悪い状態なのかと病気を心配する内容に変わりました。
その他にも、今まで過ごしていた病院の事は全く話には出てきませんでしたが、それまで住んでいた我が家のことは、しっかりと覚えていました。まるで、その家から外出してきたように「戸締りをしたかしら?」というお話は、時々出てきていました。

他の話題についての受け答えは、しっかりと成立していました。

例えば、彼女は、元陶芸家。手の関節も変形して、とても太くなっている状態でした。
そんな彼女に、「陶芸はお金がかかるのでしょう?」と尋ねると、「材料の土は、そんなに高くないけれど焼いてもらうのが高いのよ」と。さらに、話題が兄弟の話になりました。「私は4人兄弟で、女は私だけ、だからお転婆に育ったのよねー」と、話すと、「じゃー、私の家は、6人兄弟で兄が一人だけ男だから、その逆ね!」と、大笑いしたり・・。

認知症と診断されていた彼女ですが、20時間共に過ごした私には、彼女の病気の事はあまり気にもならずに楽しく一緒に旅をしたお友達でした。

加齢とともに誰にでもおこる物忘れ。決して他人事ではありません。
彼女の言動には、大きな環境の変化に対する不安、周りは知らない人ばかり・・。そんな状況も大きく影響しているのは間違いないのではないか。
その時々の不安の言葉が彼女の心の声だっと思うのです。

一日も早く、新しい生活に慣れて、兄妹との交流ができることを願っています。
また、ご家族と彼女との面会を阻んているものとしてコロナの感染対策も影響しているようでした。

その後の変化とは・・。事例支援その⑥

入院後の変化・・。
それは、彼女がとても落ち込んで「死にたい」と言い出したことでした。
一見、とても穏やかに入院したのに、家族が帰った後の変化に、病院側も大慌てしたようです。

私としては、遠くからようやくたどり着いたら、また知らない場所に入れられた。家族からも見捨てられたと悲観したのではないかと感じました。
もしも、私が同じ立場ならば、同じことを考えたのではないかと思うのです。
彼女は、再び、誰も知らない場所に連れてこられた・・。
そのことが、とても不安で淋しくてたまらなかったと思うのです。
そして、自死行為の危険があるということで、彼女は医療保護入院ということになってしまったのです。
せっかく、近くに身内がいるのに、しばらくは面会も制限されたようです。

彼女の真実の姿はわかりませんが、福岡から神戸までの20時間の移動に際して、共に行動して、一緒に寝て、食事をして過ごした私には、これらの結果はとても悲しい結果となってしまい、心を痛めているところです。
彼女の孤独な気持ちを思うとたまらなくなります。

いよいよ、入院! 事例支援その⑤

病院前に待っていたお兄さん夫婦と対面。久しぶりの再会に双方とも泣いていました。
そして、感染対策のチェック後に外来へ移動。

私は、本人への説明に苦慮して、弱くなった足のリハビリをしてもらうために来たとごまかしましたが・・。

長い時間の診察が終わり、病室へ移動。そのまま入院することになりました。外来の診察の際に長谷川式のテストをされたそうです。前の病院では11点とのことでしたが、私たちと過ごした直後は20点だったそうです。11点での受け入れ準備をしていたとのことで、受け入れ病院も戸惑っておられました。しかし、準備しているので、しばらく様子をみますとのことに。

私は、担当の看護師さんとの情報交換。
前の病院からの情報以外で私の感じた事をお伝えしました。
歩けると思っているので、だれもいなければ一人で立とうとする危険性があること、そして、それが一番の問題点で、他のケアの食事の事、排泄の事などについてのようすを説明。
できれば会話のできる環境にしてあげて欲しいともお願いをしました。
立ち上がろうとするのは、誰もいないところでトイレに行こうとする時や何かを取ろうとした時など、その時が一番危険かもしれない事。

声をかけて制止してあげれば大丈夫であることも・・。

話しかけてあげれば、寂しさも軽減されると思ったのです。
しかし、入院となった病棟は、みんな重度な方ばかりのお部屋。患者さん同士で会話できる雰囲気の場所ではなかったのでした。

私からの情報を確認すると、病院側から告げられたこと

転倒のリスクについて、以下の対応の了承をして欲しいと。
①頭部を保護するヘッドギアの装着
②大腿骨頚部骨折の対策としてヒッププロテクターの利用
③車椅子はティルトの車いすを購入 リクライニング機能なし
④そして、さらに車いすでの抑制帯の利用

上記の4点についての了解を求められたのでした。

車椅子はリクライニング機能はまったくついていないティルト車いすとのことで、病棟を覗くと数人の患者さんがティルトのまま座っていました。とてもきつそうでした。

私たちが、そんなお話をしている間に、彼女は食事摂取・歯磨きが終わろうとしていました。
すべての事が終わり、ご挨拶をされますか?と問われました。

お兄さんとガラスの扉を介して、挨拶・・。何度も何度も、「もう、帰るの?」、「また来るからね」・・。

泣きながらの挨拶・・。少し離れた後ろから見ていて、こちらも泣けてしまいました。きっと、何で自分だけが、また知らない場所に一人で残されるのかと感じたはずです。

せっかく、お兄さんに会えて、懐かしい会話もしないまま、知らない土地での入院生活。ここがどこかも認識する時間もないままに・・。
私たちは、お別れの挨拶も遠慮させていただきましたが、本当に辛かったです。

そして、私たちは福岡に向けて出発。でも、その後も大変なことになったようです。

支援のあり方について 事例支援その④

続きです。
コミュニケーションについても学ぶ良い機会になりました。
事前の情報では認知症がかなりひどいということは聞いていました。
しかし、時々同じ質問はありますが、ふたりのコミュニケーションは成立していました。たくさんの思い出話をして笑いました。
私にも、とても楽しい時間だったのでした。
同じことを聞かれれば、しっかりと答えれば良いということ。私は普通に話していました。
坂田副理事長とは、ずっと以前に会っているとのことでしたが、私たちが話しているときに、坂田さんと呼ぶと、それを聞いていた彼女は「坂田さん?」と、自分が知っている坂田さんだと気付いたのです。坂田さんがマスクを外して、後ろを向いて挨拶をすると「歳をとったねー」と。みんなで大笑いしました。

同行した船津さんは、キーパーソンなので当然に信頼している関係。
私は亡きご主人と20年来の仕事仲間としてのお付き合い。共通の話題は亡きご主人の事。
でも、彼女はご主人が亡くなった事は良く理解していない様子。敢えて、その現実は追及しない話題を中心に普通の会話をしました。その会話には彼女の人柄が良く表れていました。思いやりや感謝の言葉が多く聞かれました。
例えば、食事も半分を私に食べさせようとしてくれたり、「私のために有難う!申し訳ない・・」などの言葉も何度も聞かれました。
常に同行している私への思いやりの言葉や態度が見受けられました。

車椅子移動の際も、荷物を待ってくれるといわれたので一つの荷物を預けました。膝の上に抱いて運んでくれました。

早朝のフェリーでは、坂田さんが船上のデッキに連れてでてくれました。
景色を眺めていました。
そして、フェリーから降りて高速道路で明石市へ。

その途中の景色を眺めていたので、「ここ、どこかわかる?」と尋ねると「神戸でしょう!」と。
「ずいぶん、変ったわねー」と。
そして、これから会うお兄さんのことを考えているようでした。「兄は、もう、病気は大丈夫なの?」と聞かれました。
実は、出発時にどこに行くのかと聞かれた際に、お兄さんが病気なので会いに行くと伝えていたのでした。

取り敢えず、今日はここまでにしておきます。この続きは、また。

出来る事、出来ない事、その支援について 事例支援その③

一日休んで、今日は気分もすっきり出勤❣
改めて、転医のお手伝いでの出来事を振り返りました

要介護度4の方と20時間くらい同行して気付いたことがたくさんありました。
移乗、排泄、食事、洗面、更衣等や共に過ごした時間でのコミュニケーション。事前の情報収集から、想定されるものを準備して持参していましたが、そんなものは無用だったのでした。一つだけ役に立ったものは車いす。

食事は柔らかいもの、スプーンを使用。食べこぼしがあるのでエプロン使用とのことでしたが、普通食をお箸で一人前を完食。その食べる速さも私たちと同じ。

排泄も時々失禁あり。昼はパンツタイプのおむつ。夜はテープ止めのおむつ使用とのことでした。出発時は、病院側が特に心配をされたのでしょうか、大判のパッドとテープ止め、そらにその上にパンツタイプと3重におむつを当てられていました。
しかし、現実は、尿意があり、トイレまで移乗させられると排泄後の始末も自力で可能。必要な介助は立位の保持をした安定姿勢でのズボンの上げ下げのみ。
洗面も立位や座位姿勢だけ整えて洗面台の前にいけば、歯ブラシの使用もうがいも顔洗いも自力で可能でした。

つまり、私が支援をしたのは、大腿骨頚部骨折の手術後のために自立歩行は困難で手すり等での伝い歩きがすこし可能という状況を介助する事でした。車への乗り降り、トイレやベッドまでの移動介助。といっても、掴まる場所を教えて、転倒防止のために安全を確保する気配りだけだったのです。手すりがない場所は、私が手すりになったというだけでした。

その他に注意した事、内服について。
朝食後に服用していた利尿降圧剤については、服用させる時間を転医先の病院到着のタイミングをみて服用させるなどの配慮をしました。
まだまだ、他にも気づいたことがいろいろとありましたよ・・・。