認知症について事例支援その⑦ 

認知症と診断された彼女のこと。他にも病気はあるようですが・・。
私が把握していた事は、認知症があるという事と、最近、入院中の病院で転倒して大腿骨頚部骨折の手術をしたという情報だけでした。

そんな彼女との会話は、時折、同じことを何度も聞くこと以外は、普通の会話が成立していました。

その同じことを何度も聞かれることについて、改めて考えてみると、彼女が気になっている事、不安に思っている事を何度も聞いてくることに気付きました。

つまり、どこに行くのか、お兄さんに会いに行くと説明すると、今度はお兄様のようすのことを聞かれます。兄は病気なのか、生きているのか、病気は悪い状態なのかと病気を心配する内容に変わりました。
その他にも、今まで過ごしていた病院の事は全く話には出てきませんでしたが、それまで住んでいた我が家のことは、しっかりと覚えていました。まるで、その家から外出してきたように「戸締りをしたかしら?」というお話は、時々出てきていました。

他の話題についての受け答えは、しっかりと成立していました。

例えば、彼女は、元陶芸家。手の関節も変形して、とても太くなっている状態でした。
そんな彼女に、「陶芸はお金がかかるのでしょう?」と尋ねると、「材料の土は、そんなに高くないけれど焼いてもらうのが高いのよ」と。さらに、話題が兄弟の話になりました。「私は4人兄弟で、女は私だけ、だからお転婆に育ったのよねー」と、話すと、「じゃー、私の家は、6人兄弟で兄が一人だけ男だから、その逆ね!」と、大笑いしたり・・。

認知症と診断されていた彼女ですが、20時間共に過ごした私には、彼女の病気の事はあまり気にもならずに楽しく一緒に旅をしたお友達でした。

加齢とともに誰にでもおこる物忘れ。決して他人事ではありません。
彼女の言動には、大きな環境の変化に対する不安、周りは知らない人ばかり・・。そんな状況も大きく影響しているのは間違いないのではないか。
その時々の不安の言葉が彼女の心の声だっと思うのです。

一日も早く、新しい生活に慣れて、兄妹との交流ができることを願っています。
また、ご家族と彼女との面会を阻んているものとしてコロナの感染対策も影響しているようでした。

その後の変化とは・・。事例支援その⑥

入院後の変化・・。
それは、彼女がとても落ち込んで「死にたい」と言い出したことでした。
一見、とても穏やかに入院したのに、家族が帰った後の変化に、病院側も大慌てしたようです。

私としては、遠くからようやくたどり着いたら、また知らない場所に入れられた。家族からも見捨てられたと悲観したのではないかと感じました。
もしも、私が同じ立場ならば、同じことを考えたのではないかと思うのです。
彼女は、再び、誰も知らない場所に連れてこられた・・。
そのことが、とても不安で淋しくてたまらなかったと思うのです。
そして、自死行為の危険があるということで、彼女は医療保護入院ということになってしまったのです。
せっかく、近くに身内がいるのに、しばらくは面会も制限されたようです。

彼女の真実の姿はわかりませんが、福岡から神戸までの20時間の移動に際して、共に行動して、一緒に寝て、食事をして過ごした私には、これらの結果はとても悲しい結果となってしまい、心を痛めているところです。
彼女の孤独な気持ちを思うとたまらなくなります。

いよいよ、入院! 事例支援その⑤

病院前に待っていたお兄さん夫婦と対面。久しぶりの再会に双方とも泣いていました。
そして、感染対策のチェック後に外来へ移動。

私は、本人への説明に苦慮して、弱くなった足のリハビリをしてもらうために来たとごまかしましたが・・。

長い時間の診察が終わり、病室へ移動。そのまま入院することになりました。外来の診察の際に長谷川式のテストをされたそうです。前の病院では11点とのことでしたが、私たちと過ごした直後は20点だったそうです。11点での受け入れ準備をしていたとのことで、受け入れ病院も戸惑っておられました。しかし、準備しているので、しばらく様子をみますとのことに。

私は、担当の看護師さんとの情報交換。
前の病院からの情報以外で私の感じた事をお伝えしました。
歩けると思っているので、だれもいなければ一人で立とうとする危険性があること、そして、それが一番の問題点で、他のケアの食事の事、排泄の事などについてのようすを説明。
できれば会話のできる環境にしてあげて欲しいともお願いをしました。
立ち上がろうとするのは、誰もいないところでトイレに行こうとする時や何かを取ろうとした時など、その時が一番危険かもしれない事。

声をかけて制止してあげれば大丈夫であることも・・。

話しかけてあげれば、寂しさも軽減されると思ったのです。
しかし、入院となった病棟は、みんな重度な方ばかりのお部屋。患者さん同士で会話できる雰囲気の場所ではなかったのでした。

私からの情報を確認すると、病院側から告げられたこと

転倒のリスクについて、以下の対応の了承をして欲しいと。
①頭部を保護するヘッドギアの装着
②大腿骨頚部骨折の対策としてヒッププロテクターの利用
③車椅子はティルトの車いすを購入 リクライニング機能なし
④そして、さらに車いすでの抑制帯の利用

上記の4点についての了解を求められたのでした。

車椅子はリクライニング機能はまったくついていないティルト車いすとのことで、病棟を覗くと数人の患者さんがティルトのまま座っていました。とてもきつそうでした。

私たちが、そんなお話をしている間に、彼女は食事摂取・歯磨きが終わろうとしていました。
すべての事が終わり、ご挨拶をされますか?と問われました。

お兄さんとガラスの扉を介して、挨拶・・。何度も何度も、「もう、帰るの?」、「また来るからね」・・。

泣きながらの挨拶・・。少し離れた後ろから見ていて、こちらも泣けてしまいました。きっと、何で自分だけが、また知らない場所に一人で残されるのかと感じたはずです。

せっかく、お兄さんに会えて、懐かしい会話もしないまま、知らない土地での入院生活。ここがどこかも認識する時間もないままに・・。
私たちは、お別れの挨拶も遠慮させていただきましたが、本当に辛かったです。

そして、私たちは福岡に向けて出発。でも、その後も大変なことになったようです。

支援のあり方について 事例支援その④

続きです。
コミュニケーションについても学ぶ良い機会になりました。
事前の情報では認知症がかなりひどいということは聞いていました。
しかし、時々同じ質問はありますが、ふたりのコミュニケーションは成立していました。たくさんの思い出話をして笑いました。
私にも、とても楽しい時間だったのでした。
同じことを聞かれれば、しっかりと答えれば良いということ。私は普通に話していました。
坂田副理事長とは、ずっと以前に会っているとのことでしたが、私たちが話しているときに、坂田さんと呼ぶと、それを聞いていた彼女は「坂田さん?」と、自分が知っている坂田さんだと気付いたのです。坂田さんがマスクを外して、後ろを向いて挨拶をすると「歳をとったねー」と。みんなで大笑いしました。

同行した船津さんは、キーパーソンなので当然に信頼している関係。
私は亡きご主人と20年来の仕事仲間としてのお付き合い。共通の話題は亡きご主人の事。
でも、彼女はご主人が亡くなった事は良く理解していない様子。敢えて、その現実は追及しない話題を中心に普通の会話をしました。その会話には彼女の人柄が良く表れていました。思いやりや感謝の言葉が多く聞かれました。
例えば、食事も半分を私に食べさせようとしてくれたり、「私のために有難う!申し訳ない・・」などの言葉も何度も聞かれました。
常に同行している私への思いやりの言葉や態度が見受けられました。

車椅子移動の際も、荷物を待ってくれるといわれたので一つの荷物を預けました。膝の上に抱いて運んでくれました。

早朝のフェリーでは、坂田さんが船上のデッキに連れてでてくれました。
景色を眺めていました。
そして、フェリーから降りて高速道路で明石市へ。

その途中の景色を眺めていたので、「ここ、どこかわかる?」と尋ねると「神戸でしょう!」と。
「ずいぶん、変ったわねー」と。
そして、これから会うお兄さんのことを考えているようでした。「兄は、もう、病気は大丈夫なの?」と聞かれました。
実は、出発時にどこに行くのかと聞かれた際に、お兄さんが病気なので会いに行くと伝えていたのでした。

取り敢えず、今日はここまでにしておきます。この続きは、また。

出来る事、出来ない事、その支援について 事例支援その③

一日休んで、今日は気分もすっきり出勤❣
改めて、転医のお手伝いでの出来事を振り返りました

要介護度4の方と20時間くらい同行して気付いたことがたくさんありました。
移乗、排泄、食事、洗面、更衣等や共に過ごした時間でのコミュニケーション。事前の情報収集から、想定されるものを準備して持参していましたが、そんなものは無用だったのでした。一つだけ役に立ったものは車いす。

食事は柔らかいもの、スプーンを使用。食べこぼしがあるのでエプロン使用とのことでしたが、普通食をお箸で一人前を完食。その食べる速さも私たちと同じ。

排泄も時々失禁あり。昼はパンツタイプのおむつ。夜はテープ止めのおむつ使用とのことでした。出発時は、病院側が特に心配をされたのでしょうか、大判のパッドとテープ止め、そらにその上にパンツタイプと3重におむつを当てられていました。
しかし、現実は、尿意があり、トイレまで移乗させられると排泄後の始末も自力で可能。必要な介助は立位の保持をした安定姿勢でのズボンの上げ下げのみ。
洗面も立位や座位姿勢だけ整えて洗面台の前にいけば、歯ブラシの使用もうがいも顔洗いも自力で可能でした。

つまり、私が支援をしたのは、大腿骨頚部骨折の手術後のために自立歩行は困難で手すり等での伝い歩きがすこし可能という状況を介助する事でした。車への乗り降り、トイレやベッドまでの移動介助。といっても、掴まる場所を教えて、転倒防止のために安全を確保する気配りだけだったのです。手すりがない場所は、私が手すりになったというだけでした。

その他に注意した事、内服について。
朝食後に服用していた利尿降圧剤については、服用させる時間を転医先の病院到着のタイミングをみて服用させるなどの配慮をしました。
まだまだ、他にも気づいたことがいろいろとありましたよ・・・。

 

久しぶりの休み❣️

やっと、休めたよー!

早朝の涼しい時間から庭の手入れや窓拭き、そして、次に室内の掃除や調理など・・、1週間に一度していた事ができると不思議と気持ちが落ち着く。生活リズムも大切だなぁと思う。

 

久しぶりにナースのお仕事をしてきました。事例支援その②

連日、研修会が続く中、知り合いの方を福岡から神戸に転医するために付き添い看護師として同行。

行きは、門司から神戸までフェリーの移動。 帰りは高速道路9時間の移動。
7日の16時40分出発。帰着は、翌日8日の夜中の12時。

運転をされた男性の皆さんは大変だったと思います。
私は、久しぶりに看護師役。とても貴重な経験ができました。

男性は運転手とサポート役。
本人さんも良く知っている方と一緒だから安心してくれました。

私は、移動・移乗介助・食事・排泄・整容・服薬管理・状態観察と不安の軽減のための支援など責任重大。でも楽しいプチ旅行になりました。

ずっと寄り添っていて教えられたこと、気付いたこと・・。
気付いた情報は、転医先の看護師さんに、しっかりとお伝えしてきました。

10月7日は福岡地域の話し合いでした。

10月7日木曜日は地域連絡協議会福岡地域を開催しました。
現場で悩んでいる環境や身体状況のアセスメント、そして、適切な福祉用具の情報と利用法について・・。悩みは尽きません。
でも、みんなで話し合うことで、いろんな手法や考え方を学べました。
次回は、13日北九州地域の開催となります。
そして、14日からは第3回目のマネジメント研修と続きます。
今年度取り組んでいる県事業は3本柱で取り組んでいます。
各々に空気が違います。
少しずつですが、確実に進んでいる事を実感しながら進んでいます。
良き仲間、そして支えあい❣

今日も忙しい一日になりそうです。

昨日は、ブログにもアップしましたが、コツコツとわずかな時間を見つけてはコツコツと頑張って認定合格者の内訳を確認。取りあえず、合格証明書を発送できたのでほっとしています。

今日は、アンケートの入力作業をしなければなりません。
また、昨日は筑後地域の連絡協議会も開催いたしました。
内容がとても具体的な現場のお話。各々の工夫や、その後の変化がとても参考になりました。

この地域の連絡協議会は、福岡県内4地域にしっかりと根付かせていきたいと考えています。その時に助けになるのが認定チェックに受かった仲間の皆さん。
そんなネットワークづくりを意識しています。

今日は、福岡地域の開催。そして、それが終わったら、夕方から明石市まで行かなければなりません。
知り合いの要介護状態の高齢者を、身寄りの住むところに連れていくことになったのです。私も一応、元看護師。排泄ケアと食事ケアをしながら無事に送り届けたいと思います。勿論、頼りになる友人たちが付き添ってくれますよ。