裏方の悩み・・(´;ω;`)ウゥゥ

今日は愚痴です。
研修会後の提出物のルールや締め切り日などがなかなか守られずに困っています。
受ける事務局は本当に大変です。

それは、一つだけではないし、これらのことは毎回の連絡事項としてスライドにして説明を繰り返し行っているのですが・・。
催促のメールや電話も・・・。

提出できない場合も連絡をしてくださいと伝えているにも関わらず連絡なし。
研修を開催するたびに毎回あるのですよねー。
昨日も、提出されるべきものが提出されず、ひたすら待つ・・。
時間は20時を過ぎる・・。それでも届かない。

あきらめて、20時半、ようやく帰ることに。そして、今朝も6時に出勤・・。
昨年よりも、今年は対象施設の数が倍になっているので、とても大変です。
次から次と連続で研修会が続いています。その一つ一つを整理していかなければなりません。
モデル施設の皆様、ご協力をお願いいたします。

筑後地域の研修会終了。

福岡県ノーリフティングケア普及促進事業 第3回マネジメント研修 筑後地域を開催しました。

モデル施設さんも計画の立て方も慣れてきたようです。

20日水曜日は福岡地域、21日木曜日は北九州地域の開催と続きます。

 

昨夜もやはり揺動ベッドに!

3日目も布団を運んで、揺動ベッドに寝てしまいました。大きな布団を使用するには、流石に66センチ幅は狭いかなーと思いましたが・・。(笑)

夜中に何度も覚醒する習慣は変わりませんが、その後、すぐに眠れるかが問題でしたが、少なくとも、この3日間は良く眠れました。覚醒するたびに揺動するようにスイッチを入れました。

もしも、電動ベッドを持っていなかったら、普通サイズの揺動ベッドにしたかもしれません。
夜は、ゆっくりと動くモードにしていますが、昼間は早いモードも試しました。早いモードは、もっと大きく揺れたらどうなるのかなーと思ったりしました。
そして、移動したソファーに座ってみると、これまで当たり前に思っていたソファーの椅子の低さがとても気になりました。
立ち上がりやすさという視点からすれば、10センチの高さの違いと座面の安定感の差は大きき感じたのでした。

ユメル君と生活している91歳のおばあーちゃんも、低い椅子を使用していましたが、今は殆どベッドに腰かけてテレビを観ているそうです。そして寝たくなったら、そのままベッドに横になる・・。膝が悪く、手すりの数も増えてきて、歩行車が手放せなくなっています。揺動ベッドとは関係はありませんが、立ち上がりやすい高さの椅子+リラックスできる条件は、高齢になると大切なことだと感じました。

この高さの違いが微妙に大切な事だと気付く・・。

揺動ベッドは快適な居場所に❣️

私の心地よい居場所ができました。

テレビを観る時もコーヒーを飲むのもiPadやスマホ操作時の座り場所。
横になりたい時はそのまま寝ることもできる。これまではソファーを使っていましたがソファーは別の場所に移動。
ソファーよりも約10センチ高く40センチ。マットレスもソファーよりも硬いので、安定した座り姿勢になれます。幅は66センチなので居間に置いても邪魔にならない。以前はソファーを置いていた場所。奥行きも長さも殆ど変わらない。
一番の違いは、これが揺動ベッドである事です。
最近、不眠症で悩んでいましたので、この週末の土日は、この揺動ベッドで寝てみました。

揺らし時間は30分間のタイマー設定をして就寝。いつのまにか眠っていました。
しかし、私は、夜中に1〜2時間毎に目覚める習慣があり、毎日数回は目覚めてしまうのです。
一度目覚めると、その後、なかなか眠れないという問題に苦しんでいましたが、目覚める度に揺動スイッチを入れました。するといつの間にか寝ている。それを繰り返していました。
最初の時に揺れているなぁと感じた事を覚えている程度。
めまい対策として頭部は少し高くしています。
と、言う事で、この2日間は寝室のベッドは全く使わず、居間が居場所になってしまいました。
さて、今夜はどうしようかな〜。😊

この揺動ベッドは、アイクォーク(株)さんが開発した商品。私が選んだのはスリムタイプです。他にもベビー用、福祉用、大人用などあります。

詳しくは、アイクォークさんのホームページをご覧下さい❣️

 

揺動ベッドを買った❣️

昨日の夕方、揺動ベッドが届きました。

昨夜は、このベッドで就寝。マットレスの柔らかさは私好み。揺らしの速さも調整可能。昨日はゆっくりモードのIで使用。

揺らさない時は、ソファー代わり。テレビを観る時など、ここが私のリラックス場所になりそう。

3回目のマネジメント研修がスタート!

第3回目マネジメント研修が14日からスタートしました。
福岡県の事業は、すべてのマネジメント研修は4つの地域に分かれて開催していますので、なんでも4倍することになります。
今日は、初回で筑豊地域が対象でした。
筑豊地域の担当講師は安武氏。
アドバイザー施設は、特別養護老人ホーム明日香園。
先ずは、前回の計画実施の報告を各施設が実施。
その後は講義、そしてグループワークの繰り返し。
各々のテーマについてこれからの計画書を作成します。
3回目にもなると手順も慣れてきたようです。
各グループの意見交換も活発に行われていました。
施設の定着させるためには、全員参加がポイント。
モデル施設の皆様、大変お疲れ様でした。

昨日は、北九州地域の研修会でした。

10月13日第2回地域連絡協議会 北九州地域を開催いたしました。
進行は、リーダー施設のふじの木園さんが担当。講師はサポート役。
事前に教えてもらいたいこと、わからない事を提出してもらい、リーダー施設が中心となり、回答の内容を打ち合わせて、先輩施設として、どのように進めてきたかという経験のお話はとても参考になったのではないでしょうか。
困難事例の対処法、福祉用具選定や使いかた、職員への伝達方法・・・。
今回は、3組の聴講希望者も参加されました。
福岡県の事業は4つの地域の開催。つまり、同じことを毎回4回開催しています。
今年度は、2年目の事業となり、モデル施設も去年の倍の24施設。
事務局も講師も同じように関わっていますが、主人公は地域のモデル施設です。
4つの地域、各々のやり方は、同じように提案しても受け取る側によって違ってくるということが良くわかりました。
また、事務局としてさまざまな連絡事項を発信しますが、そこにも24通りの反応があるのです。連絡事項を受けて関係者にどのように浸透させていくのか、これも大切なマネジメントです。
いろんなことを感じながら、事務局としての対策も必要になってきています。
今回の地域連絡協議会のアンケートの提出についても変更しました。
事前にメールで伝え、さらに当日にも提出方法を説明していますが、理解していない施設もあります。
メッセージが伝わらなければ、どのように工夫をしようかと考えます。
事務局は、24のモデル施設と4人の講師の皆様と向き合っています。
ノーリフティングケアを職場に定着をさせて、腰痛による離職者をなくすことが目標です。
県が補助金まで出して、介護人材確保対策に、この腰痛問題に踏み出したことは大きな一歩だと思います。
ケアの技術もプロの仕事。
介護職は、一見誰でも出来る仕事と考えられているのかもしれませんが、プロのケアを受けると何が違うのか・・。
きっと、ケアを受けている人たちには伝わっているはずです。
時々、被験者モデル役を体験すると、その違いを実感します。
そして、この事業を受託した私たちは、今、毎日が真剣勝負。
時には、厳しいメッセージも発信しなければなりません。
でも、想いは一つです。
もしも、このブログを見ていただいているモデル施設の皆様がいらっしゃるなら、共に真剣に前を向いて、ささえあいながら頑張りましょうね。
宜しくお願いいたします。

今回の事例で学んだこと 事例支援その⑧ おわり

転院への同行で感じた事は、私たちが日常のケアを振り返る意味でも、とても大切だと思い、数回に分けてブログに書きました。

私自身を含めて、医療や介護に携わるお友達の皆様にも振り返っていただきたくて紹介をさせていただきましたが、こうして振り返ることで私自身も気付くことがたくさんありました。

「出来ない」と思っていた事は本当にできないのか、食事・排泄・洗面・歩行・移動・移乗・・・・。
「この方は、全面介助です!」なんていう言葉を良く聞きます。

実際に今回の彼女も要介護度4ということでした。
そんな彼女は、車への乗り降りも手すりの位置を教えて誘導してあげれば一人で出来たのでした。
今回利用した車は、後部座席の乗車口はとても高かったのですが、頑丈な手すりがついていました。その手すりに掴まり、身体を反転させて着座できるのでした。最初は一人が先に乗車して引き上げる体制で介助しましたが、その後は、声掛けだけで自力で乗車してもらいました。
車の段差だけでなく、フェリーの客室の段差約10cm、トイレの段差約20cm。すべて抱えることは一度もなく、誘導するだけで出来たのでした。
手すりがない場所は、介助者、つまり私に掴まってもらい、自分自身の力で一歩一歩すすむ。足を高く上げて段差を乗り越えることもできました。

最初の情報では、要介護4と聞いていましたので、さまざまな環境を考えて男性陣には隣室のお部屋を確保していただき、サポート体制をしっかりと考えていましたが、私が食事を選びにレストランに行った時間と大浴場での入浴の時間だけ付き添ってもらいました。(彼女には、寝衣の着替えの際に清拭をしてあげました。)

ベッド上での上方移動も自力で可能。左右の肩を交互に浮かして少しずつ移動。見事な上方移動でしたよ。
事前におむつ使用とのことで、念のために使用したおむつも、装着時に腰を上げる、左右への身体を動かすことも問題なく可能。介護者としては本当に楽でした。

何をするために、どのように身体を動かすのか、出来る事を見極めて声掛けをしてあげる。
当たり前の事を、もしかしたら現場の忙しさから、つい、持ち上げたり、抱え上げたりはしていないだろうか・・。

観察する、待つ介護も大切だと思いました。

食事も、洗面も、更衣も・・。みんな同じこと。一度の食べこぼしでエプロンを使用してスプーンできざみ食・・。(彼女の荷物の中にも、使い捨てのビニールのエプロンがたくさん入っていました。)
彼女は普通食を美味しく食べていたのは、もしかしたら久しぶりに形の見える食材がとても嬉しかったのかもしれません。
ちなみに、夕食は高菜のおにぎり2個、煮魚とポテトサラダと卵豆腐とフルーツのゼリーを選んでお部屋に運びました。私は焼き魚と麻婆豆腐を選んだのですが、彼女は、私の麻婆豆腐も食べたいと言われたので、少し分けてあげたのでした。焼き魚も美味しそうねと言われました。
お箸を使い、食べこぼしもなく。

そんな、彼女のすべての反応には、きっと理由があるはずですよね。

ちなみに、翌日の朝食は、高速道路のサービスエリアのレストランで卵かけの朝定食。ご飯も大盛り。卵と納豆ときんぴらと味噌汁。彼女は、みんなと同じ速さですべて完食。私はご飯は半分残したのですが・・。(笑)

もともとせっかちな私。本当はもっと出来たことがあったのかもしれない・・。
と、振り返っています。

 

認知症について事例支援その⑦ 

認知症と診断された彼女のこと。他にも病気はあるようですが・・。
私が把握していた事は、認知症があるという事と、最近、入院中の病院で転倒して大腿骨頚部骨折の手術をしたという情報だけでした。

そんな彼女との会話は、時折、同じことを何度も聞くこと以外は、普通の会話が成立していました。

その同じことを何度も聞かれることについて、改めて考えてみると、彼女が気になっている事、不安に思っている事を何度も聞いてくることに気付きました。

つまり、どこに行くのか、お兄さんに会いに行くと説明すると、今度はお兄様のようすのことを聞かれます。兄は病気なのか、生きているのか、病気は悪い状態なのかと病気を心配する内容に変わりました。
その他にも、今まで過ごしていた病院の事は全く話には出てきませんでしたが、それまで住んでいた我が家のことは、しっかりと覚えていました。まるで、その家から外出してきたように「戸締りをしたかしら?」というお話は、時々出てきていました。

他の話題についての受け答えは、しっかりと成立していました。

例えば、彼女は、元陶芸家。手の関節も変形して、とても太くなっている状態でした。
そんな彼女に、「陶芸はお金がかかるのでしょう?」と尋ねると、「材料の土は、そんなに高くないけれど焼いてもらうのが高いのよ」と。さらに、話題が兄弟の話になりました。「私は4人兄弟で、女は私だけ、だからお転婆に育ったのよねー」と、話すと、「じゃー、私の家は、6人兄弟で兄が一人だけ男だから、その逆ね!」と、大笑いしたり・・。

認知症と診断されていた彼女ですが、20時間共に過ごした私には、彼女の病気の事はあまり気にもならずに楽しく一緒に旅をしたお友達でした。

加齢とともに誰にでもおこる物忘れ。決して他人事ではありません。
彼女の言動には、大きな環境の変化に対する不安、周りは知らない人ばかり・・。そんな状況も大きく影響しているのは間違いないのではないか。
その時々の不安の言葉が彼女の心の声だっと思うのです。

一日も早く、新しい生活に慣れて、兄妹との交流ができることを願っています。
また、ご家族と彼女との面会を阻んているものとしてコロナの感染対策も影響しているようでした。

その後の変化とは・・。事例支援その⑥

入院後の変化・・。
それは、彼女がとても落ち込んで「死にたい」と言い出したことでした。
一見、とても穏やかに入院したのに、家族が帰った後の変化に、病院側も大慌てしたようです。

私としては、遠くからようやくたどり着いたら、また知らない場所に入れられた。家族からも見捨てられたと悲観したのではないかと感じました。
もしも、私が同じ立場ならば、同じことを考えたのではないかと思うのです。
彼女は、再び、誰も知らない場所に連れてこられた・・。
そのことが、とても不安で淋しくてたまらなかったと思うのです。
そして、自死行為の危険があるということで、彼女は医療保護入院ということになってしまったのです。
せっかく、近くに身内がいるのに、しばらくは面会も制限されたようです。

彼女の真実の姿はわかりませんが、福岡から神戸までの20時間の移動に際して、共に行動して、一緒に寝て、食事をして過ごした私には、これらの結果はとても悲しい結果となってしまい、心を痛めているところです。
彼女の孤独な気持ちを思うとたまらなくなります。